学校生活

【違いとは】大学の学年の呼び方は「年生」or「回生」!関西は「回生」?

一般的に、

小学校の学年の呼び方は、1年生・2年生・3年生・4年生・5年生・6年生

中学校の学年の呼び方は、1年生・2年生・3年生

高校の学年の呼び方は、1年生・2年生・3年生です。

また、大学の学年の呼び方についても、小学校から高校と同じように、「1年生・2年生・3年生・4年生・(5年生・6年生)」であることが多いです。

しかしながら、とりわけ、関西の大学では、「1回生・2回生・3回生・4回生・(5回生・6回生)」と呼ぶこともあります。

つまり、大学の学年の呼び方は、「年生」と「回生」の2通りあるということになります。

実は、私自身、関西出身で、大学についても実家から自転車で20分くらいで行けるところにありました。

そのため、当然ながら、私の大学では、大学の学年について「回生」と呼んでおりましたし、他地域において、小学校~高校と同じように大学の学年を「年生」と呼んでいることは知りませんでした。

では、なぜ、大学の学年の呼び方には、「年生」と「回生」の2通りあるのでしょうか。

関西以外では、概ね、「年生」という傾向が強いですが、なぜ、関西では「回生」なのでしょうか。考えていきます。

この記事を見て分かること

  • 大学生の学年の呼び方が「年生」と「回生」の2種類あることについて
  • 「年生」と「回生」が使われる地域について
  • なぜ、「回生」と呼ぶことがあるのかについて
  • 「年生」と「回生」は、留年したときに違いが表れることについて

では、詳しく見てまいります。

大学の学年の呼び方は「年生」と「回生」がある

海外の大学

冒頭に述べた通り、小学校から高校の学年の呼び方は、一般的に、「年生」です。

一方で、大学の学年の呼び方は、「年生」と「回生」の2通りあります。「回生」は、関西の大学でよく使われます。

ちなみに、「年生」や「学生」以外の呼び方はあるのでしょうか。

代表的なのは、「年次」でしょう。例えば、大学1年次は大学1年生(大学1回生)を指します。

また、修士課程の学生が学年について、「M1」や「M2」というのと同様、学部生の学年についても「B」を使って、「B1」や「B2」・・・ということもあります。

Bは「Bachelor」(バチェラー)=学士、Mは「Master」(マスター)=修士、Dは「Doctor」(ドクター)=博士の略です。

一般的に、学士家庭は4年、修士課程は2年、博士課程は3年となりますので、学年について、B1, B2, B3, B4, M1, M2, D1, D2, D3ということがあります。

当記事では、「年次」や「B」という呼び方はこれ以上深めず、「年生」と「回生」の呼び方について深めていきます。

地域によって呼び方が異なる

卒業

大学の学年について、「年生」と呼ぶのか「回生」と呼ぶのかは、地域によって異なります

多数派は「年生」ですので、少数派の「回生」から見ていきます。「回生」と呼ぶのは、関西の大学です。また、四国地方の大学でも、「回生」と呼ぶことが多くなっています。

「回生」と呼ぶのは学生だけではありません。当該地域の大学において、大学当局も「回生」という呼び方を公認していることがほとんどです。

大学ホームページの各種資料を確認すると「回生」という呼び方が使われていることを確認できますので、気になる方は確認してみてください。

一方で、「年生」と呼ぶのは、関西や四国以外の大学ということとなります。東日本や北日本、中国・九州・沖縄地方のほとんどの大学では、学年の呼び方は「年生」となっております。

なぜ、関西では「回生」なのか

京都大学

では、主に関西では、大学の学年の呼び方について、なぜ、「回生」なのかということが気になってきます。

定かなことは明確ではないのですが、東大と京大の教育システムの違いを見ていくと、わかってくることがありますので、詳しくのべていきます。

「回生」の発祥は、京都大学(当時は京都帝国大学)ということとなります。

東京大学は1877年(明治10年)4月に設立され、1886年(明治19)年3月に帝国大学令により、東京帝国大学と改称されました。

東京大学(東京帝国大学)は、優秀な官僚を育成するための教育機関としての役割が強く、各学年ごとに履修科目(カリキュラム)が細かく決められていました。

そのため、学年ごとに定められた単位をとらないと、次の学年へ進むことができなかったのでした。

つまり、学年に対する意識が強かったということができます。そうしたことから、「年生」という呼び方がなされていたともいえるでしょう。

東京大学は「学年制」が採用されていたということとなります。

その後、東京大学(東京帝国大学)の「学年制」がどのように広がっていったかは定かではありませんが、東京大学(東京帝国大学)は、当時も、日本の首都にある最も影響力の大きな大学であったことは言うまでもないでしょう。


東は東大ならば、西は京大です。

京都帝国大学は、1897年(明治30年)6月に発足しました。京都帝国大学の特徴は、「自由な学風」でした。

つまり、東大のように学年ごとに詳細なカリキュラムがつくられたわけではありませんでした。

在学中に定められた単位を取得すれば卒業することができるという制度だったのです。

それ故に、在籍年数を示すという意味で、「回生」という呼び方が使われたのでした。

つまり、京都帝国大学では、「科目制」が採用されたということになります。

では、これが、どのようにして、関西の大学へ広がっていったのでしょうか。

これも、定かなところはありませんが、京都帝国大学は、関西の他大学にも影響を及ぼしていたと考えるべきです。

実際に、京大に所属しながら、他大学でも講義を受け持つことがあったみたいです。

なお、詳述はしませんが、京大では、1933年、滝川事件が起こりました。

滝川事件をきっかけに、京大の多くの教員が辞職をして、そうした教員の受け皿となったのが、立命館大学をはじめとした関西各地の大学でした。

←関連性は不明ですが、関西の大学史を語るうえで、滝川事件(京大事件)は重大な出来事でした。

つまり、現在、関西の大学における学年の呼び方「回生」は、京都帝国大学(京大)が発祥だったのです。

これが、関西各地に広まっていったということになります。

留年をすると「年生」と「回生」の違いがわかる?

怠慢大学生

大学の学年の呼び方は「年生」と「回生」の2種類あるということを述べてきましたが、実際のところ、違いはあるのかということを述べていきましょう。

先ほど見てきた通り、留年がキーポイントとなっていそうです。

勘のいい方は、東大と京大の教育システムの違いを説明したところで、ピンときているかと思います。

まず、復習ですが、「学年制」が採用されていた東大では「年生」が採用されていた一方で、「単位制」が採用されていた京大では「回生」が採用されていました。

まず、当時の東京大学(東京帝国大学)では、各学年で定められていた単位を一つでも落としてしまえば、留年をするということになっていました(学年制)。

つまり、1年生のときに必要単位を落とすと、次年度も1年生の教育を受けることとなっていました。

一方で、当時の京大では、在学時に必要単位をとることができなければ、留年をするということになっていました(単位制)。

例えば、1回生のときに単位を落としても留年することはなく、2回生に上がることができたのです。

しかし、修業年数の3年間トータルで必要単位を取ることができなければ、4回生、5回生・・・と上がっていくということとなっていました。

当時の帝国大学の修行年数は3年間(医学部は4年間)でした。

現在の大学においては、医学部は学年制を採用していますが、その他の大学は概ね単位制です

そのため、現在は、医学部を除く大学・学会において、学年を「年生」と呼ぶ大学においても、留年をしたら、5年生、6年生と上がっていく形となります。

一昔前は、東大と京大の違いが示しているように、留年によって、「回生」と「年生」の違いが表れていたかもしれません。

しかし、現在の大学では、留年をしても、「回生」と「年生」の違いは明確ではないとする見方が一般的です。

関連記事

まとめ

いかがでしたでしょうか。最後にまとめです。

まとめ

大学の学年の呼び方

関西や四国→「回生」
上記以外→「年生」 ※例外もあるので注意。

関西の大学で「回生」を使うのは、学年制を採用した東大に対して、単位制を採用した京大が発祥であると考えられている。

ただし、現在の大学では、「年生」と呼ぶ地域の大学でも「単位制」が採用されていることが多い。

大学の学年の呼び方について「〇年生」が多数派ではありますが、関西や四国の大学では「〇回生」となっております。

そのため、首都圏などから関西に下宿をして関西の大学に通うという方は、学年の呼び方には十分にご注意ください。

    -学校生活